こんにちは、ベアパンです。
昨今、奨学金にまつわる様々な意見が出ていますね。
私は現在24歳で、社会人3年目になりました。
2022年に私大文系大学を卒業し、毎月約1.5万円ほど奨学金の返済をしています。
このままいけば、50歳手前まで返済し続ける計算です。
大学を卒業して3度目の夏を迎えそうな今日このごろ。
現在の気持ちを記録しておこうと思います。
奨学金を借りて、良かった?
私は奨学金を借りて、良かったと思っています。
あの4年には、300万円の価値があったと日々実感しているからです。
10代から20代にかけてのあの時間の、あの4年間は、それだけ得難いものでした。
私の家の経済状況では、確実に大学に進学はできませんでしたから、本当に奨学金制度には感謝しています。
大学での学びは、実用・スキル的には、特に役立っていません。
断言できるほど。
人と関わる、自分の好きなことに時間やお金や他人を巻き込んで熱心に取り組む、したことのないことに挑戦する。
あの若さ溢れる時期の4年間というゆとりがないと、私は挑戦できなかったと思います。
もちろんいつからでも新たな挑戦はできると思います。
社会人って学生の頃思っていたよりは意外と時間がありますから。
(もちろん人にはよるんですが…)
でも今挑戦するには、私にとっては心理的な助走がかなり必要になります。
かえって、助走つければ挑戦する気になる今のマインドも、大学進学で身につけたものだったりします。
(大学に入るまで”挑戦”というマインド皆無だったので。)
大学に入って得たものは、私の今後の人生に必要不可欠なものです。
それを得るための機会をくれた大学生活での体験、記憶は今でもとても大切なものです。
だから、奨学金を借りて良かったと思っています。
奨学金の負荷はそこまで感じていない(手取り17万実家暮らし女)
しかし、やっぱり300万は、大きい。
最近、Fireとかセミリタイアとかそういう話題ありますよね。
そりゃ私だってできるものならしてみたいです。
働くのが好きなわけでもなし。
しかしFireには資産形成が必要です。
将来を考えて自分の資産形成を計画するとき、奨学金がなければ…と過ることがあります。
2年かけて貯金して、100万いくかいかないくらいかであるという結果を見たとき、300万という金額の大きさに改めて慄きました。
しかし同時に、私はさらにあの時間を後悔しないための努力をしなければならないと、自分へ発破をかけることになりました。はからずも。
それに数百万程度なら、ある程度真面目に働いて本気で貯めている人にとって見れば、そこまで絶望するほどの額でもないのです。
例えばセミリタイア※のために3000万ほど貯めたいと思った時、確かに奨学金がある人と負債がない人では差が生まれます。
※本記事ではがっつり引退ではなく、毎月数万程度の配当、取り崩しを得て労働の束縛を緩める程度のFireという認識です。
しかし例えば頑張って年に50万ほど貯めるとして、奨学金300万であれば、達成までに6年の差が生まれます。
6年は大きいですが、達成はできるのです。
(時間の差が惜しければ、その分追加で稼げばいいのです。あえて単純に言わせていただくと。)
であれば、いかに早く計画を立て、実行できるかも大事ですよね。
なんとなくでも未来を見つめながら人生設計を都度するようにしていれば、奨学金があったとしても、
華の4年間も、ユルFireなどお金のかかる目標もどちらも手に入れることはできなくはないんです。
かえって奨学金という負債があるからこそ、大学生の頃からシビアにお金について考える癖がついたのも、ある意味収穫だなと思っています。
この意識があるかないかだけでも、貯金の額や速度、ライフプランがかなり変わってきたりします。
例えば、奨学金がある私よりも、奨学金がないあの子の方が貯金がなかったり。
(もちろん、奨学金がなくて貯金も完璧な人もいますが、まぁ、上をみたらきりがありません。
私は、僕は、自分で自分の未来を勝ち取ったんだ!と自分を称えましょう。)
だがしかし取捨選択の決断も必要となる
私が真っ先に切り捨てたのは、子供を持つという選択肢
しかし、もちろん奨学金の負担はなくなりはしません。
その分、何かを捨てるという選択肢が必要になる人もいます。
例えば私であれば、真っ先に私の人生から切り捨てたのは、子供を持つという選択肢です。
奨学金は基本的には返済する人が無理のないように仕組みができています。
月々の返済額も、よほど借りていない限りは暴力と呼ぶまでもない額です。
所得連動型や一時的な免除など、イレギュラーに備えた様々な措置があります。
しかし、いくら負担が軽減されているといえど、負債は負債で、繰り上げなどしなければ40代半ばまで返し続けることになります。
奨学金のみ、であれば確かに心理的負担もそこそこに生活はおくれます。
しかしこの先安定して生きていけるという確証のない中で、不確定不安要素を増やすことを決断できる人が、どれだけいるでしょうか。
お金のかかる目的について、
人それぞれの優先順位の問題になってきますが、子供についてはまた少し考え方が変わってくるかなと思います。
例えば戸立てを買うことを目標としていれば、お金が貯まれば買えばいいし、たまらなくても仕方ない諦めようで終わります。
もしかしたらローンを組んでいる最中に火事になってローンだけが残ることもあるかもしれません。
しかしそれだけで終わります。
子供を産んだ場合は、諦めようがありませんし、諦めてはいけません。
一度産んでしまえば、どんなことがあろうとその子を守らなければなりません。
イレギュラーが起こったから一旦ストップ、やりっぱなしができません。
ただでさえいくら備えても安心できることなんてない、という世の中で、負債持ちが手を出そうとはなかなか思えません。
かといって返済が終わる頃には出産も厳しい年齢になっています。
私は子供に関して元々こだわりが無い方でした。
産める環境なら産んでみようかなとも思うし、ダメそうなら別にいいかなと。
産んだらきっと子供はかわいくて、神秘的で、大変で、人生の生きがいになるだろうと思います。
一方で、そんな大それた生きがいがなくても、人生を楽しく過ごす道も見えているのが現実です。
将来について、親の老後や自身の老後のことを考え、子供をもつことはほぼ不可能に近いと感じています。
奨学金返済中の人も子供を持てないわけではない
もちろん、この考えは私の中での子どもの優先度が低いから出る結論です。
子供を迎えるための努力をあまりする気がない人間の考え方です。
本当にほしいと思っていれば収入を増やすなり他の支出を抑えるなり、やりようはあります。
私にそこまで熱がないだけです。
私は自分や、自分を育ててくれた母、家族を未来の子供よりも優先しています。
だから”私”は、「子供を持つ」という選択肢を切り捨てました。
もちろん、「やっぱり欲しいなぁ」と思ったら、たぶんめちゃくちゃ頑張ってお給料あげたりお金貯めたりして、捨てた選択肢を拾い上げる可能性もあります。
人それぞれなのです。
では、本記事はここまでとさせていただきます。
奨学金の負担を上回る素晴らしい時間を得ることができた私としては、
奨学金=借金、人生終了、辛い返済生活…
という負のオーラを、少しでも軽減できたらと思う今日この頃です。