BearPanda’s blog

20代薄給OL、勝手気ままに生きております。

奨学金を借りる人に必要なこと

こんにちは、ベアパンです。

 

これから奨学金を借りて進学しようと考えている方、もう既に借りて社会に出ている方へ。

 

奨学金を借りる人に必要なことを、お話しようと思います。

既に返済中の方も、時間が立つと当時の志や目的など忘れて、なんとなく毎月お金が徴収されているという感覚になってしまっている人いませんか?

 

「気持ちの問題」というとそこまで大層な内容に感じないかもしれませんが、働いて稼いだお金が、毎月数千円~数万円なんとなくなくなっている、というのはあまり精神衛生上よろしくないと思います。

 

だからこそ奨学金を借りる際の意志固めと、継続的かつ自発的な意思による返済自覚が必要な人もいるかなと思い、記事を書きます。

 

 

奨学金は未来の自分からの投資

奨学金は未来の自分からの投資

=自己責任

 

奨学金とは、今できないことを、未来の自分から前借りしているわけです。

学生では用意できない大金を、将来働いているはずの自分から借りているのです。

 

しかし、未来のことは誰も分かりませんよね。

 

そんな不確定な未来から前借りするということの危うさ貴重さをまずは理解しなければなりません。

 

不確定な未来から投資を得るほど、今の自分の選択に決定的な意志はあるのか。

 

それを自覚してから借りないと、未来の自分は過去の自分や自分の選択を呪いながら、何十年も返済をしていかなければならなくなります。

 

たかが「意志」と思うかもしれませんが、不確定な未来に対抗する手段は結局それが一番有効なのです。

 

奨学金を借りる人に必要なこと

奨学金を借りるのに必要な書類や事務手続きなどは、調べればいくらでも分かりやすいサイトが出てきます。

そのため先述の通り、意識的な側面をとりあげようと思います。

 

必要なこと

奨学金を借りるということの自覚と、それを返済するための意志

 

私は、大学進学することに大層な理由はいらない、という考えです。

 

やりたいことがなくても、なんとなくまだ社会に出るのがこわいというだけでも、いいと思います。

 

ただ、奨学金を借りる場合、奨学金を借りたという自覚と、それを返済するための具体的な意志を持つことははとても大切だと実感しています。

(もちろん奨学金を借りていなくても、大金をかけている時間であることの自覚は大事ですが、いったんおいておきます)

 

なぜそのような考えに至ったか、下記に続きます。

 

自覚

「自覚」とは、お金をどのくらいかけて、何を自分はするのか考え、それを把握することです。

 

返すつもりも算段もなく、ただ進学して適当に大学生活を送るのは、「無責任」ということはもちろん、とても勿体ないことです。

 

お金をかけているという自覚を持つことの良さの一つは、なるべく大金分の利益を回収しようという意識になることだと思います。

 

例えば、学費にいくらかかっているか、教材がいくらなのか、全く知らない友人がいました。

その子は特に目標もなく、取り敢えず大卒という肩書は欲しいから進学したらしいです。

 

その子は、2年生の夏休み以降大学に来なくなりました。

無料で得られる大卒という肩書にあまり魅力を感じなくなってしまったようです。

 

もう一人、特別な夢とか目標はなく、進学した子がいました。

その子は奨学金を借りて、教材費なども全てバイト代から出していました。

 

その子は友人が1限の授業を眠いからと自主休校する中で、一人授業を9割出席していました。(1、2日は遅刻と寝坊しちゃいましたが…)

※ちなみに、自主休校はイコール「サボリ」です。

 

その子は、基本真面目ではありますが、今まで皆勤賞を取ったこともなく、どちらかというと根性もあまりないタイプでした。

なぜ9割出席していたかというと、(しかもあまり興味のないマナー講座)ひとえに、1限サボっちゃおうかなと布団の中で考えていると、授業一回あたりの学費や結構高い教材費が頭から離れなくなり、重い足が動くのです。(守銭奴気質だったんですね)

 

しかしたとえ消極的な理由だとしても、その子が9割出席したという事実は変わりません。

そしてこの事実は意図せず継続力を育て、大学生活における評価や、新たな発見につながりました。

 

また、もう一つの例で、私にとってかなり響いたのは、学内イベントや、学外の施設の学割です。

 

普段ならちょっと興味はあっても申し込みや一人で飛び込む勇気がなくスルーしてしまうようなイベントが催されているとき。

 

学費の回収という名目があれば、私の足は動き、高校生の頃では考えられないほどフットワーク軽く学内イベントや学割適用のイベントによく参加していました。

 

躊躇してしまう自分に対する、「学費回収」という大義名分ができたのです。

 

もちろん自分の趣味に合わなかったり、周りがグループばかりで気まずい時もありましたが、意外とそこまで気になりませんでした。

 

気まずさよりも、この空間に自分一人で飛び込んでやったという達成感で満足していました。

 

「挑戦」という言葉からかけ離れていた私だからこそ、そのときの達成感はより大きかったのだと思います。

 

繰り返しになってしまいますが、

「自覚」とは、お金をどのくらいかけて、何を自分はするのか考え、それを把握することです。

 

それは負債を負う苦労を覚悟するというだけでなく、

自分の将来、生き方への投資をした!

という自覚をして生きていくほうが、より人生の密度が濃くなると思うからです。

 

私は、大学進学することに大層な理由はいらない、と書きました。

やりたいことがなくても、なんとなくまだ社会に出るのがこわいというだけでも、大学進学を選択肢に入れることは構わないと思います。

実際そういう学生も多いと思います。

 

しかし、10代~20代の数年は、社会に出るのが怖い・めんどくさいという逃避期間のみにあてるには、なかなか贅沢過ぎる時間とお金です。

 

きっとこの自覚という過程を経ると、数百万円をドブに捨てるような結果になるのを多少なりとも防ぐことができるのではないかと思います。

 

意思

 

ここでの意思は、「奨学金を借りて進学する!勉強頑張るぞ!」に少し付け加えます。

 

自分は未来の何に投資しているのか。

未来の何を犠牲にして、今何を得ようとしているのか。

そして、どのように取り返すかを検討するということです。

 

進学するために、いくら必要なのか。

それは奨学金で賄えるのか、足りない分はどのように確保するのか。

今後の人生で何を一番優先するのか。

卒業後毎月いくら、何年くらいで返すのか。

その頃自分はどんな生き方をしていたいか。

 

私の場合では、

未来の自分にとって本当に500万かけて芸術を学ぶということが必要で、500万の負債に耐えられるのか。

(授業料減免や給付金など制度を駆使して300万になりましたが、当時は500万の負債を負う覚悟で検討しました。)

 

将来、500万円あればできたこと、できるかもしれないこと。

私の最終的な検討は結婚や出産にも及びました。

(結構極端な検討ではありますが、考えられるリスクなどをひとまず把握するということが大事だと思っています。)

 

結婚や出産と天秤にかけて、私は芸術を4年間学ぶことを選びました。

それは私にとって芸術を学ぶということは人生の永遠の娯楽を得るということだったからです。

 

結婚して誰かと生きて幸せになる未来や、自分の子供を産んで育てて比べようもない苦労や幸せを得る未来よりも、

もし独りになってしまっても、思考し続けられるように、その土台の知識、思考の仕方を学んで一人で楽しく生きていけるための術を得たいと考えました。

 

結婚や出産を犠牲にしても、大学時代に得た学びでその後の人生楽しく生きられれば、500万はとりかえせると踏んで、進学の意志を固めました。

 

もちろん、10代で考えたことですから、理想の未来が変わることもあるかもしれません。

ただ、自分で考えぬいて決めたことというのは強いおまじないのような拘束力、暗示の作用があると感じています。

 

最後に

奨学金を返している今の私は、結婚しなくても、出産しなくても、人生幸せに生きることができるという暗示を18歳の時の自分にかけられてます。

18歳の決断に委ねるというのは、100%正しい考え方ではないかもしれません。

 

しかし18歳はただの子供ではありません

ある程度自分を知ることもできて、自分の未来を決定することだってできる年齢だと思っています。

子供の考えだから、将来後悔するかもしれない…と思うのであれば、過去を後悔しないために今・未来で何か行動や考え方を変えればよいのです。

 

無理なく返していくためにはこのくらいのお給料が必要で、そのための就活に必要なものは…と沢山考えます。

 

考える時間はあります。なくても作りましょう。

その時間は自分の意志を固め、決意するまでの過程となり、その後の人生を支えていく記憶になります。

大げさに聞こえるかもしれませんが、少なくとも私は、あの時の自分の思考、決意が今の支えになっています。

 

だからこそ、私のように奨学金を借りる際の意志固めと、自発的な意思による返済自覚が必要な人もいるかなと思いました。

 

楽観的で結果論のようにも聞こえますが、この考え方で楽しく生きている一人もいるということで、お話させていただきました。

 

本記事はここまで

おわり