BearPanda’s blog

低収入母子家庭育ちですが、勝手気ままに生きております。

もう一人の母…姉?なサチさんとの思い出

こんにちは、ベアパンです。

 

本日は昔一緒に暮らしていたサチとの思い出を思い出してみようと思います。

サチは、私が赤ちゃんの頃にやってきて数年一緒に暮らしたワンちゃんで、柴犬系の雑種…?(たしか)です。

 

たまたまお題を見つけて、不思議なくらい彼女との色々な思い出が蘇ってきたので、書き残しておきたいなと思いました。

ほぼ母の思い出と言えなくもないですが、母が語ってくれた思い出を交えて書こうと思います。

 

サチは、私が生まれてから少したった頃に我が家にきた…はずです。

何せ私が物心つかぬうちにきた子だったので、母からの伝聞しかなく朧げな部分も多いです。。

 

元々、サチは母の父が飼うといって唐突に引き取った子だったのですが、まぁ、なんといいますか私の祖父はなかなか自分勝手で飽きやすい性質だったため、いっときの衝動でもらってきた犬にはもちろんすぐに興味を失ってしまいました。

 

我が身内ながら無責任でお恥ずかしい限りなのですが、とにかくその様子を見た母は散歩にもろくに連れて行ってもらえていないサチに申し訳ないと思い、引き取ることにしたそうです。

 

当時我が家には生後間もない私と、母と、ろくでもない父が住んでいました。

家計は火の車で、出産間もなくから母は働きどおしの日々でしたが、早く家に帰れた日には私を抱っこしてサチを散歩に連れ出していました。

 

サチは引き取ったころから既に成犬間近だったこともあるのか、大人しくて謙虚な子だったようです。

 

少し困ることと言えば、何故かサチは珈琲が大好きで、少し目を離すと母の飲みかけのコーヒーカップに鼻先を突っ込んでしまうそうで、そのたび慌ててカップを母は取り戻すのでした。

 

それ以外は本当に良い子で、踏んだウンチに気付かず家に入ってしまってウンチの足跡の前でしゅんと項垂れていたり、

 

舐めると母に怒られるので近づき過ぎはしないものの、30センチほどの距離で毎日飽きもせず赤ちゃんの私をじっと不思議そうに見つめている姿に、もともと特別犬や動物が好きなわけでもなかった母ですが、ふっと肩の力が抜けたそうです。

 

そしてそんな母やサチに見守られながら私もすくすくと成長し、2歳ごろになると、このくらいから私の記憶にもサチの姿がおぼろげに映り始めます。

 

2歳の私は馬の形の遊具が好きで、何かと乗るのが好きだったようで。

2歳児から見ると立派な体躯の中型犬のサチも、恰好の獲物です。

 

遊具とは違い、触れると柔らかくて暖かいサチは私に執着されて付きまとわれ、嬉しいような、でもサチから構うと母の目が飛んでくるという遠慮により、ハイハイ混じりに追いかけてくる私から困ったようにうろうろと逃げ回っていました。

 

サチに乗り上げると流石に母は私を持ち上げて離すのですが、母が近くにいないとき、何故かサチは私が乗りたそうにすると、ぺったりと身体と頭を伏せてどうぞと背中を私の目線に合わせてきました。

そして喜んで私がサチに抱き着きながら乗ると、母がやれやれと私を持ち上げて、それを見たサチはスクっと立ち上がって、のんびりゆるりゆるりと尻尾を振るのでした。

 

そんなこんなで平和に暮らしつつ、私がさらに成長して4歳くらいになったころ。

 

母は周りの人間たちの自分勝手さや私を一人で守らないといけないというプレッシャーが降り積もり、ため息をつくことが増えていました。

 

身勝手でろくでもないことばかりしてくる父にMaxでストレスが溜まり爆発しそうだったある日、ふと父が私に触れようとした瞬間があったそうです。

 

DVだとかしてくる父親ではなかったので、悪意などない気が向いただけの触れあいのつもりだったとは思います。

しかし日頃身勝手な行動ばかりしている父が私に触れることに母が無性に嫌悪感を感じた瞬間、サチが私と父の間に割って入りました。

 

普段からあまり吠えることなくおとなしいサチでしたが、その時は静かに割って入り、私を背にして、父に向かって小さく「わんっ」と吠えたそうです。

 

父は不思議そうに頭をひねってサチを避けて私を抱き上げようとしましたが、サチはそれも上手く遮り、私の袖を咥えて母のもとへ連れて行きました。

 

母が私を抱き上げるとゆるりと尻尾を揺らして、ゲージに戻り伏せて目を閉じたそうです。

 

これだけのことですが、母はとんでもなく救われた気持ちになったそうです。

 

お人好しでなかなか人を見限れない母でしたが、犬のサチでも自分の気持ちを汲み取って行動してくれるのに、人には追い詰められるばかりだとその時感じ、吹っ切れたそうです。

 

その後すぐ妹が生まれ、気持ちを切り替えた母は父と離婚しました。

 

しかしそのころ、唐突に祖父がサチの引き取り手を見つけてきたと言い出しました。

 

もちろん母は何故急にと怒りましたが、現実問題、5歳児と赤ん坊を抱え、朝晩ずっと働いていた母は余裕がなく、散歩もつれていけない状況になりつつありました。

 

祖父が探してきた引き取り手は裕福な夫婦で、子供が大きくなったので、成犬を引き取って一緒に暮らしていきたいとのことでした。

引き取り手の事情を聞いた母は、自身の現状を顧みて、サチを引き取っていただいたそうです。

 

その後、首にバンダナを巻いた相変わらずのんびりとした様子のサチの写真が届きました。

母は割と動物に対してもドライで、動物の可愛い動画など見ても「かわいいねー」とから返事で終わる人なのですが、今でもしれっとバンダナを巻いたサチが冷蔵庫に貼ってあります。

先日、24年選手の冷蔵庫が壊れて現在は二代目の冷蔵庫なのですが、その際にも母は写真を移動して、また貼りなおしていました。

 

その姿を見つつ、私もたまに写真をみて、「あの頃の一人きりだった母のそばにいてくれて、ありがとう」と伝えています。

 

ふと思い出した、私が小さいころ一緒に暮らしていた母でありお姉ちゃんであるワンさんとの思い出。おわり。

 

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奨学金を借りる人に必要なこと

こんにちは、ベアパンです。

 

これから奨学金を借りて進学しようと考えている方、もう既に借りて社会に出ている方へ。

 

奨学金を借りる人に必要なことを、お話しようと思います。

既に返済中の方も、時間が立つと当時の志や目的など忘れて、なんとなく毎月お金が徴収されているという感覚になってしまっている人いませんか?

 

「気持ちの問題」というとそこまで大層な内容に感じないかもしれませんが、働いて稼いだお金が、毎月数千円~数万円なんとなくなくなっている、というのはあまり精神衛生上よろしくないと思います。

 

だからこそ奨学金を借りる際の意志固めと、継続的かつ自発的な意思による返済自覚が必要な人もいるかなと思い、記事を書きます。

 

 

奨学金は未来の自分からの投資

奨学金は未来の自分からの投資

=自己責任

 

奨学金とは、今できないことを、未来の自分から前借りしているわけです。

学生では用意できない大金を、将来働いているはずの自分から借りているのです。

 

しかし、未来のことは誰も分かりませんよね。

 

そんな不確定な未来から前借りするということの危うさ貴重さをまずは理解しなければなりません。

 

不確定な未来から投資を得るほど、今の自分の選択に決定的な意志はあるのか。

 

それを自覚してから借りないと、未来の自分は過去の自分や自分の選択を呪いながら、何十年も返済をしていかなければならなくなります。

 

たかが「意志」と思うかもしれませんが、不確定な未来に対抗する手段は結局それが一番有効なのです。

 

奨学金を借りる人に必要なこと

奨学金を借りるのに必要な書類や事務手続きなどは、調べればいくらでも分かりやすいサイトが出てきます。

そのため先述の通り、意識的な側面をとりあげようと思います。

 

必要なこと

奨学金を借りるということの自覚と、それを返済するための意志

 

私は、大学進学することに大層な理由はいらない、という考えです。

 

やりたいことがなくても、なんとなくまだ社会に出るのがこわいというだけでも、いいと思います。

 

ただ、奨学金を借りる場合、奨学金を借りたという自覚と、それを返済するための具体的な意志を持つことははとても大切だと実感しています。

(もちろん奨学金を借りていなくても、大金をかけている時間であることの自覚は大事ですが、いったんおいておきます)

 

なぜそのような考えに至ったか、下記に続きます。

 

自覚

「自覚」とは、お金をどのくらいかけて、何を自分はするのか考え、それを把握することです。

 

返すつもりも算段もなく、ただ進学して適当に大学生活を送るのは、「無責任」ということはもちろん、とても勿体ないことです。

 

お金をかけているという自覚を持つことの良さの一つは、なるべく大金分の利益を回収しようという意識になることだと思います。

 

例えば、学費にいくらかかっているか、教材がいくらなのか、全く知らない友人がいました。

その子は特に目標もなく、取り敢えず大卒という肩書は欲しいから進学したらしいです。

 

その子は、2年生の夏休み以降大学に来なくなりました。

無料で得られる大卒という肩書にあまり魅力を感じなくなってしまったようです。

 

もう一人、特別な夢とか目標はなく、進学した子がいました。

その子は奨学金を借りて、教材費なども全てバイト代から出していました。

 

その子は友人が1限の授業を眠いからと自主休校する中で、一人授業を9割出席していました。(1、2日は遅刻と寝坊しちゃいましたが…)

※ちなみに、自主休校はイコール「サボリ」です。

 

その子は、基本真面目ではありますが、今まで皆勤賞を取ったこともなく、どちらかというと根性もあまりないタイプでした。

なぜ9割出席していたかというと、(しかもあまり興味のないマナー講座)ひとえに、1限サボっちゃおうかなと布団の中で考えていると、授業一回あたりの学費や結構高い教材費が頭から離れなくなり、重い足が動くのです。(守銭奴気質だったんですね)

 

しかしたとえ消極的な理由だとしても、その子が9割出席したという事実は変わりません。

そしてこの事実は意図せず継続力を育て、大学生活における評価や、新たな発見につながりました。

 

また、もう一つの例で、私にとってかなり響いたのは、学内イベントや、学外の施設の学割です。

 

普段ならちょっと興味はあっても申し込みや一人で飛び込む勇気がなくスルーしてしまうようなイベントが催されているとき。

 

学費の回収という名目があれば、私の足は動き、高校生の頃では考えられないほどフットワーク軽く学内イベントや学割適用のイベントによく参加していました。

 

躊躇してしまう自分に対する、「学費回収」という大義名分ができたのです。

 

もちろん自分の趣味に合わなかったり、周りがグループばかりで気まずい時もありましたが、意外とそこまで気になりませんでした。

 

気まずさよりも、この空間に自分一人で飛び込んでやったという達成感で満足していました。

 

「挑戦」という言葉からかけ離れていた私だからこそ、そのときの達成感はより大きかったのだと思います。

 

繰り返しになってしまいますが、

「自覚」とは、お金をどのくらいかけて、何を自分はするのか考え、それを把握することです。

 

それは負債を負う苦労を覚悟するというだけでなく、

自分の将来、生き方への投資をした!

という自覚をして生きていくほうが、より人生の密度が濃くなると思うからです。

 

私は、大学進学することに大層な理由はいらない、と書きました。

やりたいことがなくても、なんとなくまだ社会に出るのがこわいというだけでも、大学進学を選択肢に入れることは構わないと思います。

実際そういう学生も多いと思います。

 

しかし、10代~20代の数年は、社会に出るのが怖い・めんどくさいという逃避期間のみにあてるには、なかなか贅沢過ぎる時間とお金です。

 

きっとこの自覚という過程を経ると、数百万円をドブに捨てるような結果になるのを多少なりとも防ぐことができるのではないかと思います。

 

意思

 

ここでの意思は、「奨学金を借りて進学する!勉強頑張るぞ!」に少し付け加えます。

 

自分は未来の何に投資しているのか。

未来の何を犠牲にして、今何を得ようとしているのか。

そして、どのように取り返すかを検討するということです。

 

進学するために、いくら必要なのか。

それは奨学金で賄えるのか、足りない分はどのように確保するのか。

今後の人生で何を一番優先するのか。

卒業後毎月いくら、何年くらいで返すのか。

その頃自分はどんな生き方をしていたいか。

 

私の場合では、

未来の自分にとって本当に500万かけて芸術を学ぶということが必要で、500万の負債に耐えられるのか。

(授業料減免や給付金など制度を駆使して300万になりましたが、当時は500万の負債を負う覚悟で検討しました。)

 

将来、500万円あればできたこと、できるかもしれないこと。

私の最終的な検討は結婚や出産にも及びました。

(結構極端な検討ではありますが、考えられるリスクなどをひとまず把握するということが大事だと思っています。)

 

結婚や出産と天秤にかけて、私は芸術を4年間学ぶことを選びました。

それは私にとって芸術を学ぶということは人生の永遠の娯楽を得るということだったからです。

 

結婚して誰かと生きて幸せになる未来や、自分の子供を産んで育てて比べようもない苦労や幸せを得る未来よりも、

もし独りになってしまっても、思考し続けられるように、その土台の知識、思考の仕方を学んで一人で楽しく生きていけるための術を得たいと考えました。

 

結婚や出産を犠牲にしても、大学時代に得た学びでその後の人生楽しく生きられれば、500万はとりかえせると踏んで、進学の意志を固めました。

 

もちろん、10代で考えたことですから、理想の未来が変わることもあるかもしれません。

ただ、自分で考えぬいて決めたことというのは強いおまじないのような拘束力、暗示の作用があると感じています。

 

最後に

奨学金を返している今の私は、結婚しなくても、出産しなくても、人生幸せに生きることができるという暗示を18歳の時の自分にかけられてます。

18歳の決断に委ねるというのは、100%正しい考え方ではないかもしれません。

 

しかし18歳はただの子供ではありません

ある程度自分を知ることもできて、自分の未来を決定することだってできる年齢だと思っています。

子供の考えだから、将来後悔するかもしれない…と思うのであれば、過去を後悔しないために今・未来で何か行動や考え方を変えればよいのです。

 

無理なく返していくためにはこのくらいのお給料が必要で、そのための就活に必要なものは…と沢山考えます。

 

考える時間はあります。なくても作りましょう。

その時間は自分の意志を固め、決意するまでの過程となり、その後の人生を支えていく記憶になります。

大げさに聞こえるかもしれませんが、少なくとも私は、あの時の自分の思考、決意が今の支えになっています。

 

だからこそ、私のように奨学金を借りる際の意志固めと、自発的な意思による返済自覚が必要な人もいるかなと思いました。

 

楽観的で結果論のようにも聞こえますが、この考え方で楽しく生きている一人もいるということで、お話させていただきました。

 

本記事はここまで

おわり

 

 

 

 

 

奨学金を300万借りてみて(返済3年目突入の猛暑日に思うこと)

こんにちは、ベアパンです。

 

昨今、奨学金にまつわる様々な意見が出ていますね。

私は現在24歳で、社会人3年目になりました。

 

2022年に私大文系大学を卒業し、毎月約1.5万円ほど奨学金の返済をしています。

このままいけば、50歳手前まで返済し続ける計算です。

 

大学を卒業して3度目の夏を迎えそうな今日このごろ。

現在の気持ちを記録しておこうと思います。

 

奨学金を借りて、良かった?

私は奨学金を借りて、良かったと思っています。

あの4年には、300万円の価値があったと日々実感しているからです。

 

10代から20代にかけてのあの時間の、あの4年間は、それだけ得難いものでした。

 

私の家の経済状況では、確実に大学に進学はできませんでしたから、本当に奨学金制度には感謝しています。

 

大学での学びは、実用・スキル的には、特に役立っていません。

断言できるほど。

 

人と関わる、自分の好きなことに時間やお金や他人を巻き込んで熱心に取り組む、したことのないことに挑戦する。

 

あの若さ溢れる時期の4年間というゆとりがないと、私は挑戦できなかったと思います。

 

もちろんいつからでも新たな挑戦はできると思います。

社会人って学生の頃思っていたよりは意外と時間がありますから。

(もちろん人にはよるんですが…)

 

でも今挑戦するには、私にとっては心理的な助走がかなり必要になります。

 

かえって、助走つければ挑戦する気になる今のマインドも、大学進学で身につけたものだったりします。

(大学に入るまで”挑戦”というマインド皆無だったので。)

 

大学に入って得たものは、私の今後の人生に必要不可欠なものです。

 

それを得るための機会をくれた大学生活での体験、記憶は今でもとても大切なものです。

 

だから、奨学金を借りて良かったと思っています。

 

奨学金の負荷はそこまで感じていない(手取り17万実家暮らし女)

しかし、やっぱり300万は、大きい。

最近、Fireとかセミリタイアとかそういう話題ありますよね。

 

そりゃ私だってできるものならしてみたいです。

働くのが好きなわけでもなし。

 

しかしFireには資産形成が必要です。

将来を考えて自分の資産形成を計画するとき、奨学金がなければ…と過ることがあります。

2年かけて貯金して、100万いくかいかないくらいかであるという結果を見たとき、300万という金額の大きさに改めて慄きました。

 

しかし同時に、私はさらにあの時間を後悔しないための努力をしなければならないと、自分へ発破をかけることになりました。はからずも。

 

それに数百万程度なら、ある程度真面目に働いて本気で貯めている人にとって見れば、そこまで絶望するほどの額でもないのです。

 

例えばセミリタイアのために3000万ほど貯めたいと思った時、確かに奨学金がある人と負債がない人では差が生まれます。

※本記事ではがっつり引退ではなく、毎月数万程度の配当、取り崩しを得て労働の束縛を緩める程度のFireという認識です。

しかし例えば頑張って年に50万ほど貯めるとして、奨学金300万であれば、達成までに6年の差が生まれます。

 

6年は大きいですが、達成はできるのです。

(時間の差が惜しければ、その分追加で稼げばいいのです。あえて単純に言わせていただくと。)

であれば、いかに早く計画を立て、実行できるかも大事ですよね。

 

なんとなくでも未来を見つめながら人生設計を都度するようにしていれば、奨学金があったとしても、

 

華の4年間も、ユルFireなどお金のかかる目標もどちらも手に入れることはできなくはないんです。

 

かえって奨学金という負債があるからこそ、大学生の頃からシビアにお金について考える癖がついたのも、ある意味収穫だなと思っています。

 

この意識があるかないかだけでも、貯金の額や速度、ライフプランがかなり変わってきたりします。

例えば、奨学金がある私よりも、奨学金がないあの子の方が貯金がなかったり。

(もちろん、奨学金がなくて貯金も完璧な人もいますが、まぁ、上をみたらきりがありません。

私は、僕は、自分で自分の未来を勝ち取ったんだ!と自分を称えましょう。)

 

 

だがしかし取捨選択の決断も必要となる

 

私が真っ先に切り捨てたのは、子供を持つという選択肢

しかし、もちろん奨学金の負担はなくなりはしません。

その分、何かを捨てるという選択肢が必要になる人もいます。

 

例えば私であれば、真っ先に私の人生から切り捨てたのは、子供を持つという選択肢です。

 

奨学金は基本的には返済する人が無理のないように仕組みができています。

 

月々の返済額も、よほど借りていない限りは暴力と呼ぶまでもない額です。

所得連動型や一時的な免除など、イレギュラーに備えた様々な措置があります。

 

しかし、いくら負担が軽減されているといえど、負債は負債で、繰り上げなどしなければ40代半ばまで返し続けることになります。

 

奨学金のみ、であれば確かに心理的負担もそこそこに生活はおくれます。

 

しかしこの先安定して生きていけるという確証のない中で、不確定不安要素を増やすことを決断できる人が、どれだけいるでしょうか。

 

お金のかかる目的について、

人それぞれの優先順位の問題になってきますが、子供についてはまた少し考え方が変わってくるかなと思います。

 

例えば戸立てを買うことを目標としていれば、お金が貯まれば買えばいいし、たまらなくても仕方ない諦めようで終わります。

 

もしかしたらローンを組んでいる最中に火事になってローンだけが残ることもあるかもしれません。

しかしそれだけで終わります。

 

子供を産んだ場合は、諦めようがありませんし、諦めてはいけません。

 

一度産んでしまえば、どんなことがあろうとその子を守らなければなりません。

 

イレギュラーが起こったから一旦ストップ、やりっぱなしができません。

 

ただでさえいくら備えても安心できることなんてない、という世の中で、負債持ちが手を出そうとはなかなか思えません。

 

かといって返済が終わる頃には出産も厳しい年齢になっています。

 

私は子供に関して元々こだわりが無い方でした。

産める環境なら産んでみようかなとも思うし、ダメそうなら別にいいかなと。

 

産んだらきっと子供はかわいくて、神秘的で、大変で、人生の生きがいになるだろうと思います。

一方で、そんな大それた生きがいがなくても、人生を楽しく過ごす道も見えているのが現実です。

 

将来について、親の老後や自身の老後のことを考え、子供をもつことはほぼ不可能に近いと感じています。

 

奨学金返済中の人も子供を持てないわけではない

もちろん、この考えは私の中での子どもの優先度が低いから出る結論です。

 

子供を迎えるための努力をあまりする気がない人間の考え方です。

 

本当にほしいと思っていれば収入を増やすなり他の支出を抑えるなり、やりようはあります。

 

私にそこまで熱がないだけです。

私は自分や、自分を育ててくれた母、家族を未来の子供よりも優先しています。

 

だから”私”は、「子供を持つ」という選択肢を切り捨てました。

もちろん、「やっぱり欲しいなぁ」と思ったら、たぶんめちゃくちゃ頑張ってお給料あげたりお金貯めたりして、捨てた選択肢を拾い上げる可能性もあります。

人それぞれなのです。

 

では、本記事はここまでとさせていただきます。

 

奨学金の負担を上回る素晴らしい時間を得ることができた私としては、

奨学金借金人生終了辛い返済生活…

という負のオーラを、少しでも軽減できたらと思う今日この頃です。

 

 

 

 

 

好きなことを仕事にしなかった女の話

 

こんにちは、ベアパンと申します。

 

本日は社会人2年目(2024/4から3年目)の私の、お仕事を選んだ時のことについてお話してみようと思います。

 

就活の際、私はどの会社に入りたいかという以前に、

何をに将来の仕事を決めようか、ギリギリまで定まっていなかった人間です。

 

自分なりに迷いつつ、最終的にはひとまず

”自分の好きなことを仕事にしない”

と決めました。

 

この判断には、積極的・消極的両方の理由があります。

 

本記事では、”自分の好きなことを仕事にしない”と決めた理由と、2年たってみての所感。

そして私なりに考える好きなことを仕事にしないが向いてる人について書いてみようと思います。

 

 

 

自分の好きなことを仕事にしない!

 

私の好きなこと

・本

・美術、美学

・紙、雑貨

 

好きなことを仕事にするとしたら…

編集者/学芸員/図書館司書/印刷関連会社 等

 

ポジティブな理由

・好きなことを嫌いになりたくない

→私の性質(根気無し・できないと逃げる・飽きる)

→綺麗な、”私の”好きな部分だけ見ていたい享受していたい

 

・新卒よりも中途の方が採用可能性が高そう

→募集要項を見て、社会人経験があった方が重宝されそうだなと感じました。

私の卒業した大学のブランド力はそこまでないので、あまり新卒カードが私の希望の業界に強みとは思えませんでした。

 

・会社が合わなかったらすぐに変えられる

→無意識の枷がなくなる

「好きだから耐えられる!」という考えが、無意識のストレスに…。

これは私個人の性質ですが、ドラマチックな思考は、客観的な判断を拒む傾向があると分析していました。

 

・安定した生活が手に入る

→私の好きなことを仕事にすると、それらの仕事は大抵不安定な業種でした。

非正規メイン、平均年収が異様に低い…など

奨学金の返済や将来自分がしたい生活と天平にかけました。

 

・私生活とメリハリがつく、切り捨てられる

→好きなことによって仕事とプライベートが延長線上に繋がるのは嫌だった。

好きなものをみて仕事的な発想を得るよりも、より感性的な発想を大事にしたいと思いました。(もちろん仕事目線もそれはそれで新しい発見ありそうですが、束縛感があるのがなんとなく嫌でした。)

→無理に仕事を好きにならなくていい。 

仕事は仕事と割り切ることで、諦めがつく(ちょっとした完璧主義者にもよいかもしれません)

好きなことは100パーセントを目指したくなってしまうゆえに、きっと仕事も要領よくこなせなくなってしまうと思いました。

 

ネガティブな理由

・そもそも雇ってもらえない…

→経歴がないと難しい職

安定を求めると大手会社や研究者として大成する…という目標になってしまいます。

私は大手に入るようなポテンシャルも、研究者として大成するまでかける時間も能力もありませんでした。

 

・就活をしたくない

→面接や履歴書、筆記試験など全てが苦痛でした。

人とコミュニケーションが取れないわけではないのですが、スーツを着て面接を受けに行ってという一連の流れが本当に苦手でした。 

合否がでて落とされると、必要のない人間と思われてるような感覚になるのも就活への嫌悪感の根本かもしれません。

他者や社会から評価されるということが苦痛だったのかなと。

 

社会人2年目所感

概ね満足しています。

自分の条件に叶った会社に入れたので、仕事上も私生活も、ほどほどに充実しています。(給料ちょっと低いけど…)

 

〇ストレスフリーな理由

・仕事とプライベートが明確に分かれていること

全く興味のない業界の仕事をしているので、プライベートで仕事のことを思い出すきっかけがあまりありません。

・無駄に会社付き合いをしなくていいこと

私の勤める会社は大手ではありませんが従業員数がとても多いです。

そのためか、会社規模の新人歓迎会や懇親会などもほとんどありません。

・嫌なことを避けれること

(もちろんやるべきことはやりますが、優先度の高くない嫌なことを切り捨てれます)

好きなことはあれもこれも欲張りがちですが、興味がないので必要以上に肩に力が入りすぎないです。

・基本定時で、自分の時間が多いこと

もともと趣味に大きく時間をかける方でもないので、定時後の時間や休日があるだけで、わりと私の時間は充実します。

 

私の就職条件(おまけ)

・基本給19万以上

働いてみて、20以上はあったほうがいいなと実感しております…

 

・昇給/ボーナスあり

基本給低めに設定していた分、期待値は確保しておきたい

 

・関東勤務

地方転勤有りも別にいいかなとは思ってました

 

・年間休日125日以上

土日祝日/お盆/年末年始に気兼ねなく休みたい

 

・事務/総務系

会社が変わっても求められるものもあまり変わらなそう

 

・ゆるめの雰囲気の会社

なんとなく。マナーとかバチバチだと疲れそうで

 

・実家から1時間以内の通勤距離

結構大事だなと社会人になってから実感してます

 

・資格手当/補助あり

ご褒美がないと自発的に自分を磨けないので…

 

 

好きなことを仕事にしないが向いてる人

人生かけたいほど好きじゃない人は、それを仕事にしない方が無難かなと。

仕事を好きなことにすると、必然的に人生ほとんどが好きなことで埋め尽くされます。

 

思っている以上に、社会人は仕事に当てる時間が人生の割合を占めています。

しかも仕事って義務的・事務的な側面を持っています。

もしかしたら、せっかくの好きが、”嫌い”になってしまう可能性も大いにあるのです。

 

そんなに割合占めているなら、なおのこと好きなことをしていた方がいいんじゃない?と思う人もいるかと思います。

 

しかし私は好きとずっとそばにいることが、必ずしも良いとは思えません。

私は「好きなもの」があること、「好きでい続けられる」こと、これらが当たり前にあるものだとは思っていません。

好きはとても貴重なものだと考えています。

 

だからこそ、慎重に、自分の”好き”を大切にしたいと考えました。

 

好きに人生の時間を捧げるか、好きを大切にするためにほどよく距離感をたもつか、後者が良いと思う人は、好きを仕事にしないことが向いているかもしれません。

 

仕事にして、人生かけて、それでも足りない!飽きない!追求できる!と思う人は、問答無用で好きを仕事にしましょう。

そんな好きに出会えたのなら、人生を捧げることがその人に幸せに繋がることでしょう。

 

しかし、好きなことについて感情が高ぶりすぎたり、情緒乱される人は、ぐっとこらえながらある程度距離感を保った方が良いかもしれません。

 

好きに仕事もプライベートも捧げると、24時間365日ふりまわされることになります。

精神を落ち着かせるための、好きといったん離れる時間を仕事にあててみるのもいいかもしれません。

 

長くなりました。

本記事はいったんここまでで。

 

薄給娘の親孝行

こんにちは、ベアパンです。

 

先日、2泊3日で広島旅行へ行ってきました。 

 

ただの旅行ではなく、私にとっては親孝行社会人編第一弾です。

 

普段奨学金や進学などメインで書いてますが、

本記事では親孝行の思いつきから、達成まの道のりを書いて行こうと思います。

 

『薄給(基本給19万) / 奨学金返済中(300 万) / 社会人2年目 / 母子家庭育ち』

 

の親孝行にご興味ありましたら、ぜひ覗いていってください<(`・ω・´)

 

 

親孝行第一弾~社会人編~

 

今まで、学生ができるような親孝行はある程度してきたと思います。

 

お金のかからない手紙やマッサージから始まり、バイトを始めてからは誕生日やクリスマスにプレゼントを渡していました。

 

しかし、丁度母が50歳を迎える誕生日のお祝いを考えていたときのこと、社会人らしい親孝行をまだできていないなとふと気がつきました。 

 

半世紀という節目ということもあり、何か特別なプレゼントをしたい!と考えました。

 

50歳になり、子育てもひと段落して、少し肩の荷を下ろすことができた母にとって最良のプレゼントはなんだろうか。

 

ある程度の年齢を重ねているとモノのプレゼントはなかなか響きづらいので、より思い出に残るもの、

 

そして、願わくば、母の今後の人生に活力を与えてくれるものをと考えていました。

 

どんな親孝行にしよう

 

私の母はなかなかの苦労人です。

 

幼少期、学生時代、成人、結婚生活、子育て、全てにおいて苦労がなかったときが殆どなかったのではないかと思うような人生です。

 

私に同じ失敗をしてほしくないと、母は私によく自分の経験を話して聞かせてくれます。

 

そのため、母の心身の状態や考え方、価値観など、理解できることが多いと思っています。

もちろん、100%は分かりません。

しかし、母の気持ちに寄り添えるくらいには、母と私はたくさん過去から現在まで対話を重ねてきました。

 

子育てという最後の踏ん張りどころをやりきり、燃え尽きたような今の状態もなんとなく理解することができるからこそ、私は母の力になるようなプレゼント選びに悩んでいました。

 

 

親孝行のヒントgetから即決!目標設定へ

 

そしてある時母と「厳島神社行ってみたいね〜」「そうだねぇ」と他愛のない会話をしているときにふと気づきました。

 

(あれ、私少し頑張れば母を連れて行くことができるのでは?)と。

 

母は今まで、自分のためだけに時間やお金を費やす、ということをあまりにしてこなかった人です。

だからこそ、その時間とお金、そしてそのときに感じる幸福感や充実感をプレゼントできたら素敵かもしれないと思いました。

 

早速母に要望を聞き、具体的な目標をたてました。

 

目標

 

<母の要望>

1.厳島神社は行きたい!

2.2泊3日だとのんびりできていいなぁ

3.温泉はいりたいな

4.新幹線で駅弁は旅っぽくて楽しいよね

 

≪予算プラン≫3人分

・温泉のあるホテル(宮島に近いホテル)

4万

・安めのホテル(広島市内ホテル)

1.5万

・新幹線

約12万(3人×往復料金)

・食事観光代

5万

 

余裕をもって、25万円の積立が目標となりました。

 

時期は紅葉の季節が良いとのことで、2023年の10月〜12月の間で旅行を実行することを目標としました。

 

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2022/11月 目標設定!25万積立!

2023/11〜12月 LETS旅行!

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サプライズも考えましたが、やはり旅行に行くまでの時間も楽しんでもらいたいという思いから、旅行プレゼントを私は直ぐに宣言しました。

 

 

積立開始

≪2022年11月時点:積立目標≫

約1年で25万

・10000/月

・80000/ボーナス×2

 

月1万の積立でも、ボーナスを駆使して1年かければなんとか捻出できると計算を立てて、親孝行積立が去年の11月、始まりました。

 

※今回、50歳のお祝いにしたいという思いから焦りがあり、ボーナス中心の少し無理のある積み立てスケジュールを組んでしまいましたが、一番安定しているのは月々の給料から積み立てるスケジュールですね。

 

不測の事態

私は基本給19万で、手取りは15〜16 万ほどです。

しかし私が7月に配属されたチームはどんどん残業が増えていき、月の残業時間が45時間を超えることもありました。

 

そのため、手取りは15〜16万ほどなのですが、残業代がつくことによって、平均20万ほど、多いときはさらにプラス数万円ほどの手取り額になることもありました。

 

11月に積立を開始したときも、貯めることは余裕でできるなと正直考えていました。

 

しかし、残業代を稼ぐほどお金にルーズになってしまい、オフィスにあるコンビニに同僚と入り浸ることが増え、飲みの席も増え、残業代がプラマイ0になる月も多くありました…。

 

それでもチームの業務が終わる目処は立っていないし、もうしばらくは残業続きだし、ぐっと貯めて、パーと有給とお金を使おう!と思っていた矢先、

 

残業時間過多状態が常態化している現状を改善しなければと会社から新たな体制づくりが始まり、私の残業は唐突に今年の8月からほぼ0になりました…。

 

そこからガクッとお給料が下がり、というよりも本来の手取り15万ほどに戻りました。

 

あまりにも唐突に残業ゼロになったので、家計簿が混乱し、積立が一時ストップしました。

 

それでもなんとか10月に立て直し、目標の積立額より少し減って23万の現金積立が11月分給与込みで完了したので、無事旅行を実行することができました。

 

残業代をあてにするのはやめようという苦い教訓になりました…

達成!いざ広島

ホテル選びはなかなか苦戦しました。

母の要望に温泉がありましたが、広島、宮島に近くて温泉のあるホテルがなかなか見つけられず、やっと見つけた施設を楽天トラベルで予約しました。

 

さらに楽天ふるさと納税が利用できることを発見し、ちまちまとポイントバックを狙いました。※2万円の寄付で6千円分の宿代がキャッシュバックされました。

 

新幹線はスマートEXを利用して事前に購入し、妹と母それぞれのSuicaに紐づけました。

(とっても便利ですねこれ)

こちらも早割狙いだったのですが、席が空いておらず、ほぼ通常価格だったと思います。

 

そんなこんなでギリギリ旅行の手はずを整えることができ、無事実行することができました。

 

新幹線で駅弁を食べ、広島市内をめぐり、厳島神社へ行きました。

なぜか3日目にはタクシーのおじさんに山口県に連れていかれたりもしましたが…(錦帯橋素敵でした!)

 

のんびりと、しかし溌剌にあちこち見て回る母を見ることができました。

 

おわりに

正直、社会人2年目で薄給の私が、何十万単位のお金を使った親孝行はまだ早いかもしれないと考えたこともありました。

 

しかし、強く大きく見えていた母の背が小さく見えるようになってきたこの頃。

 

母が元気なうちにできることをやったほうが良いと判断し、そして、少しでも楽しくこれからの人生を歩んでくれるきっかけになればという思いで、親孝行を計画しました。

 

「もういつ死んでも悔いはない」と本気交じりによく口に出すようになった母に切なさともどかしさを感じていました。

 

しかし旅行後、「いろいろ行ってみるのもいいね、御朱印集めでもしてみよっかな」と人生の娯楽に前向きな言葉が出るようになったことで、私の親孝行の目的を少し果たせたかなと思います。

 

本記事はここまでとさせていただきます。

 

厳島神社 干潮時]
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奨学金返済中独身女の結婚・出産観について

奨学金をこれから借りようかと検討中の方、奨学金返済中の方、

将来に漠然とした不安を抱いていませんか?

 

 

こんにちは、ベアパンと申します。

現在23歳独身、社会人2年目です。

 

ついこの間友人が結婚しました。

(私の友人たちの中では第一陣です)

その際誰かと歩む自分の将来について色々と考えたので、お話ししてみます。

 

「低所得」・「奨学金」・「少子化」はよく絡めて話題に上がることも多いと思うので、当事者の一人である私の思いをつらつら述べてみますね。

 

まず私のスペックについて、簡単に。

 

―――――――――

・23歳独身 

・社会人2年目 

・ 年収250万

奨学金返済中(300万円ほど)

☆結婚願望:有

☆子供願望:どちらともいえない

―――――――――

 

という感じです。

 

孤独耐性が強くないので、いつかは誰かと一緒にのんびりと暮らしたいという願いはあります。

子供は、子供を育てられるだけの金銭的計画の目処がつけば欲しいかもといった具合です。

 

以上のようなスペックとライフプランの願望をもっている私の、

奨学金結婚・出産の関係に対する主観をお話しようと思います。

 

 

結婚と奨学金について/主観

子供願望のないパートナーとであれば、特に支障なくお互いに「結婚」という決断ができるのでは…と思っています。

偏に経済的負担が少ないからですね。

 

しかし子供がほしいパートナーとの結婚や出産は奨学金が一つの壁になりうると実感しています。

 

私の体験の一つは、恋人と結婚や子供の事をなんとなく話題にしたときのことです。

 

「もし子供ができたらこんな習い事をさせたいね」なんていう会話がふとでたときのこと。

 

こんな習い事もさせてみたいし、子供がやりたいことをできるだけ叶えてあげたい!と話す恋人を見て、私は自分の奨学金が頭をよぎりました。

 

私の奨学金は繰り上げ返済などを行わない限りは、40代まで残るものです。

子供を産んだとして、一番お金がかかる・かけたい時期に、プラスで私の20年前の負債が残っているわけです。

 

40代では月に5000円~15000ほどの返済額になる予定ですが、夫や子供には無関係の支出が家庭の家計簿にのるということになります。

 

特に当時の恋人は奨学金の返済がなかったので、私の負債がその人にマイナスに働いてしまうのではないかと考えたことがあります。

 

結婚のみであれば、もしかしたら結婚の形次第でそこまで気にならないのかもしれません。

しかし出産・子育ての可能性を考えると、負債があるという事実は中々重くのしかかってきます。

 

恋人との未来を考えるとき、自分だけではなくその恋人の理想的な生活もあるわけです。

 

もし生活の安定を強く求める方であれば、負債を背負っていることに不安を抱く方もいるかも知れません。

 

もちろん結婚について、金銭の問題ばかりだとは思いませんが、重要な問題であることは確かです。  

 

奨学金の「負債」というマイナス的側面の乗り越え方

 

ネガティブな話をしてしまったので、私のネガティブの乗り越え方をご紹介できればと思います。

 

私の乗り越え方は、ほぼ哲学です。

 

「自分で決めたことだから、後悔しない。」

「自分で決めたから、自分が責任をもつ。」

 

これは奨学金のことだけでなく、私の人生の指針ともなっている考え方です。

 

私の決断はとても慎重で、時間がかかります。

その代わり、その後の人生、その決断の結果がいくらマイナスに作用しても、

決して後悔しないと決めています。

 

そして後悔しないためには、

マイナスに作用しそうであれば、どうにかして覆せないかと最大限の努力をしなければなりません。

 

私は奨学金を借りて大学進学したことを、後悔したことはありません。

 

将来の負債を覚悟しながら、実用性がなくても、大学で四年間好きな勉強をしたいと強く考えていたからです。

 

当時、将来の結婚や子供を生むことなどとも真剣に天秤にかけて選んだことだからこそ、後悔なく今を生きています

 

当時の自分の決断を良い方向に導けるように努力するのが今の私の義務だと考えいているからです。

 

これが私の、私自身に対する奨学金の負債という側面乗り越え方です。

ただし自分以外の人は、違います。

 

相手に求めるものは人それぞれですから、

もしかしたら奨学金という「負債」が人との関係にマイナスに働いてしまうこともあるかもしれません。

 

私はもし今後、この先を一緒に歩んでいきたいと思う方に出会ったとき、

(友人でも、恋人でも)

奨学金の「負債」という側面で悲しい結末になってしまったとしても、仕方ないことだと思っています。

 

もちろんそういったマイナス要素を覆せるくらいの努力をしてみてからの諦めですが、自分で決めたことなので、どうしようもなかったら案外諦めがつきます。

 

奨学金がなければ…だとかそういった考え方はしません。

 

自分で決断した結果、なるべくしてなった結果だと思い、また最良の道を探します。

 

と言っても、実際奨学金が原因で人間関係がみだれたことはほとんどありません。

 

今回はネガティブな捉え方ばかりになってしまいましたが、一度は見なければならない部分だとも思っているため、お話してみました。

 

さて、ダラダラと書き連ねてしまいましたため、本記事はここまでといたします。

 

後日もう少し記事内容まとめます。

 

 

基本給19万円さんの大学奨学金返済について 所感

 

ベアパンと申します。

 

私、毎月17000円奨学金の返済をしながら現在生きております。

 

都内でOLとして働きつつ返済している私の、奨学金返済にまつわるお話

(負担?そうでもない?)

をこの記事ではしていきたいなと思います。

 

結論申しますと、毎月17000円の返済については、現在の生活において「まあまあ」な負担額です。

 

先に断っておくと、そもそも私は実家ぐらしというチートをありがたく享受しています。

 

家計と私の手取り額を鑑み、家族と相談した結果、月6万円を家へ入れています。

それ以外の支出は自分にかかる費用のみとなっております。

 

大変ありがたいことです。

 

このチートありきで、生活負担度合いは「まぁまぁ」です。

 

毎月3,4万円ほど貯金をすることもでき、交際関係も滞りなく行えています。

 

しかし実は来年以降、実家を出ようか検討しています。

 

そのため生活費の相場を現在調査中なのですが、家賃など固定費含め、最低でも月10万は生活費として必要だと考えています。

 

こうなると、17000円は生きていくうえでなかなかの痛手です。

 

生活できなくるレベルではないのですが、生活で何か異例なことが起きたらヒヤヒヤはしてしまうくらいでしょうか。

 

とまあ毎月の感覚的には、もちろん負担は負担ですが…

事前に分かっていた上でお給料の最低額を考えて就活をしたり、家計簿をつけているため、奨学金のことを考えると憂鬱に…という事態にはなっていません。

 

奨学金の返済自体も、こんなちゃらんぽらんを大学に行かせてくれてありがとうという気持ちと、

後輩たちの未来への投資と思えば(借りたもの返してるだけですが)、大して精神的に苦だと感じたことはありません。

 

しかしそんな私でも、奨学金返済について、マイナス方向で考えてしまうときがあります。

 

それは未来について考えるときです。

特に子供をもちたいのか、そうではないのかを考えるときですね。

 

私の奨学金完済予定は48歳です。

 

つまり一般的な出産年齢など鑑みて計算すると、子供が中高大生になるまで奨学金が残り続けるということです。

 

それはもちろん大学進学時にも分かっていたことですが、理解することと適齢年齢が近づいて実感することは、かなり感覚が違うものです…。

 

基本的に奨学金について憂うことのない楽観的な私が、たまに憂いてしまうこの話題については、また別記事※にて呟けたらと思います。

 

ひとまず、本記事ではこのあたりで。

 

奨学金返済中独身女の結婚・出産観について - BearPanda’s blog